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書評

「応用のためのウェーブレット」(山田 道夫・萬代 武史・芦野 隆一 著)

木下 保



日本のウェーブレット研究において第一線でリードしている数学者らによる入門的かつ実践的な教科書である。著者らはこれまでにもウェーブレットに関する優れた良書を世に送り出してきたが、本書では特に応用を念頭とした取り組みで理論の解説がなされているのが、非常に特徴的である。ウェーブレット解析は理想的な学問の発展を遂げており、数学者による理論の発展が物理学者や工学者による応用へと直接結び付くことに成功してきた。実際、その歴史は石油探査から始まり、現在に至るまで様々な分野にパラダイムシフトを与えた。そうした応用へのニーズにこたえるべく、高度な数学の予備知識を仮定せずに学べる本書は、新たなウェーブレットのバイブルとなることが大いに期待できるだろう。一般にデルタ関数と呼ばれる超関数に対する取り扱いが、数学の専門家向けか否かで大きく変わる。例えば逆変換公式の導出などでは厳密な議論を避け、デルタ関数を形式的な計算へ有効利用しているのは、数学が非専門である読者にとって大変有難いと思われる。本書がまえがきで述べているように、ウェーブレット解析はフーリエ解析によく似た手法である。三角関数はどこまでも振動し続ける波形であるが、ウェーブレットはある時間帯のみで振動し、それ以外ではほとんどゼロとなる波形を用いる。時間周波数解析の有効な手段として、ウェーブレットを読者に効率良く学んで欲しいことが著者らの願いであろう。

第1章:フーリエ解析は周波数空間を定めており、ウェーブレット解析の理論を構築するのにも必要不可欠である。そこでe^{iωx}という関数に注目し、デルタ関数に関してフーリエ逆変換を通した定義やポアソンの和公式との関係を紹介している。関数解析学における基礎的なノルムや直交性の説明から始まり、確率や統計分野で登場する“中心”や“分散”といった概念を導入して不確定性関係の解説などもなされている。不確定性関係は物理学でも登場するが、ウェーブレット解析と密接なつながりがあり、時間周波数解析の限界を示唆していることは実に興味深い。

第2章:様々なウェーブレットに関するテキストでは、連続ウェーブレット変換に関してあっさりと記述していることが多い。ところが本書では読者が直感的なイメージを持てるようにかなり工夫した説明がなされている。ウェーブレットの逆変換公式を導く際、アナライジングウェーブレットに対する許容条件の果たす役割を、デルタ関数を用いて明快に示している。また、パラメータaを正だけに制限した場合の注意喚起なども懇切丁寧に解説されている。微積分のテイラー展開とモーメントの概念を組み合わせて、関数の特異性の検出への応用も面白くとても理解しやく書かれている。

第3章:連続ウェーブレット変換の離散化である直交ウェーブレットに関して、シャノンウェーブレットを中心に解説するのはとても斬新である。信号処理分野では、シャノンのサンプリング定理は最も重要な定理の1つである。一般的なMRA(多重解像度解析)の代わりにこれを利用することで、スケーリング関数とウェーブレット関数の概念の理解へと上手く導いている。理論的にも興味深いメイエウェーブレットと、応用面に長けているドブシィウェーブレットは、ウェーブレット構成に用いられる代表的な例であり、それらが煩雑さを避けて解説されているので読みやすい。さらに、データ解析に必要なアルゴリズムや、その発展として双直交ウェーブレットなども紹介されており、実用的な配慮が十分なされている。

第4章:まったくの基礎からのMathematicaによるウェーブレット解析がなされており、視覚的にわかりやすくなるように様々なタイプのグラフが紹介されていてとても有難い。Mathematicaを使用しない読者であっても、有益な実践例(雑音除去、信号分離)として面白く読めるように十分配慮がなされている。また、高速アルゴリズムである離散ウェーブレット変換の解説がとても読みやすく、ウェーブレットの応用を始めた時、実際に何をどうすべきなのか実感できる。さらに、サンプルデータ列の作成法まで述べられているので、今すぐ応用することが目的ではない読者にも体験ができるようになっている。

本書における“本文”は最短距離でウェーブレット解析の全体像を捉えることができる解説である。また本書全体を通して大変親切な“脚注”が頻繁に登場するが、研究者レベルでも悩むような素朴な疑問や見落としがちな注意に対して答えてくれており非常に理解の助けとなるだろう。このような本書の構成における、内容を近似成分(本文)と詳細部分(脚注)に分解して説明するという方針自体も、まさに“関数の近似と詳細への分解”が真髄であるウェーブレット解析の概念そのものだと共感できる。本当に、初学者のみならず研究者にもお薦めの1冊である。



きのした たもつ
筑波大学
[Article: J1706C]
(Published Date: 2017/09/11)