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ラボラトリーズ

『富士通研究所における数理解析技術の研究開発~ヒューマンセントリックなインテリジェントソサエティを創出する数理』

穴井宏和



本稿では、筆者の所属するソーシャルイノベーション研究所の「数理グループ」の研究活動の概略を説明し、近年我々が志向している産業数理の新しい方向性に関わる研究活動について紹介します。富士通株式会社では、人を中心に考えた「ヒューマンセントリックなICT」の力を活用することにより、人々がより豊かに暮らし、経済が活性化され、持続可能なインテリジェントな社会を築くことができると考え、こうした未来の社会を「ヒューマンセントリック・インテリジェントソサエティ」と呼び、その実現に向けた企業活動に取り組んでいます。ヒューマンセントリックなICTとは、その場その時の状況に合わせて人々の判断や行動をサポートする技術のことを称しています。そのために、あらゆるものをつなぎ、刻々とセンシングされるデータ・情報から得られる知見によって人々の活動を支援しイノベーションを加速していくことを目指しています。ヒューマンセントリック・インテリジェントソサエティは、クラウド、モバイル、ビッグデータ、IoTなど先進のテクノロジー群の融合によって可能となるもので、株式会社富士通研究所(富士通の主要子会社)はそれら最先端技術の研究開発によって富士通グループの企業活動を支えることをミッションとしています[1][2]

 

筆者の属する富士通研究所の数理グループでは、数学を背景として、数理モデリング・シミュレーション・データ分析・数理最適化・制御といった技術群(ここでは「数理解析技術」と呼ぶこととします)を深化させながら、目的に応じて適切に利活用し、世の中のさまざま分野でより高度な課題解決ソリューションの構築を行っています[3][4][5][6][7]。これまでの具体的な解決事例としては、ものづくり領域では、燃費性能に優れたエンジン制御手法の開発、高性能な半導体素子の設計などがあります。また、効率的な物流ルートの探索、小売店における発注計画策定などビジネス領域の課題、さらには、災害時の速やかな送電網の復旧計画立案、ピーク電力削減のための蓄電池運用計画立案などのソーシャル領域での課題に及びます。このように多岐にわたる分野での課題を扱っていますが、重要なポイントは、いずれも対象をシステムとして捉え、数式モデル化し分析・最適化・制御という一連のサイクルを循環させて問題を解決しているという共通した視座です。これを「数理システムズアプローチ」とここで呼ぶことにします。この一連の解決サイクル、数理システムズアプローチを通して各種の数理解析技術が世の中のさまざまな課題の解決につながっていきます。

数理システムズアプローチの適用を拡げかつ効果を向上させるためには欠かせない、モデリング、分析、最適化等々の各過程における個々の数理解析技術の深化も我々の研究活動の一つの重要な柱です。特徴的なものとしては、例えば、計算機代数・数式処理の研究を継続して行っており、特にパラメトリックに制約問題や最適化問題を解く代数的手法の研究を行っています[4][8][9]

 

これまで数理解析技術の適用領域としては、理工学系の分野での問題解決を主として進んできたことは周知のとおりです。近年では、ビックデータ利活用の趨勢を背景に、ビジネス領域やソーシャル領域の課題に対する数理解析技術への期待がさらに広い領域で高まっています。ソーシャル領域では、例えば、イベント会場や商業・公共施設などの人が集まる場所の混雑緩和や安全性の向上といった社会的課題を解決するための施策や制度の設計において、さまざまなデータを用いた分析や最適化技術の活用が進んできています。しかし、既存の数理解析技術に基づくデータの利活用だけでは、人間の行動や心理などの影響も考慮した公平で受け入れやすい施策や制度の設計には十分ではなく一般には難しいと言えます。実際、公共施設や流通システムなどのさまざまな制度や施策の設計において、人間の行動や心理を適切な形で組み込むことができていなかったため、利用者が伸びない、想定外の行動により使い勝手が悪いなどといった課題が発生しています。より広範な社会的課題を適切に解決し社会受容性のあるソリューションを構築していくためには、人の行動や心理、さらには例えばサービス提供者と利用者の間のインセンティブなども考慮して需給バランスやトレードオフを解決することが必要です。その達成のため、富士通研究所では、人間の行動・心理をモデル化し、社会システムの施策や制度の設計を最適化するための数理解析技術の研究開発を行っています。2014年9月には、九州大学と富士通と富士通研究所で、九州大学マス・フォア・インダストリ研究所[10]内に共同研究部門(『富士通ソーシャル数理共同研究部門』[11])を開設し、公平で受け入れやすい社会の制度や施策を実現するための数理解析技術に関する共同研究を開始しました[12]

 

近年、各種の数学計算のアルゴリズムの発展や計算機能力の飛躍的な向上による良質でフリーのソフトウェアの普及もあいまって高度な数学の計算が誰でも容易に実行できる環境が整ってきました。しかし、実際に問題解決を遂行する際には、数理システムズアプローチを念頭におきつつ、対象問題に対してどの段階でどの計算アルゴリズムを使えばよいのか適切に使いこなすのは容易ではありません。数理解析技術は、各専門分野が複雑に絡みながら急速に発展しており技術の体系の把握もままならない場合も多く、さらには、利用するソフトウェアの使い方のノウハウなどの習得も時間を要します。数理解析技術に関する人材の育成、数理解析技術の使いやすさの向上とその普及も我々の重要なミッションとの認識のもといくつかの取り組みを行っています。

人材育成については、九州大学マス・フォア・インダストリ研究所をはじめとした産学連携を積極的に活用しています。大学からの先端技術の知識と産業側からの事例を含めた実務に基づく知見を共有し、必要な数理解析技術、その実用化技術、さらに実活用のノウハウを整理して、実際に使う人が数理解析技術を効果的に学べるよう知見を体系化したいと考えています。こうして蓄積される知見を数理解析技術の普及に貢献すべく、学会や大学での講演での紹介、書籍化(例えば[13])などのアウトリーチ活動も進めています。富士通社内では、SNSなどの仕組みを活用した数理解析技術やそれらが実装されたソフトウェアツールに関する情報共有、数理解析技術の技術セミナーの運営などの普及活動を実践しています。

実務においては数理解析技術のソフトウェアツールを使うため、ソフトウェア側からサポートすることも有益と考えています。分析・最適化の数理解析技術について、データの抽出・加工から、分析・予測、最適化、データ出力までを、グラフィカルな図で定義でき、処理を定義した部品の組み合せを変更して、試行錯誤しながら分析・最適化フローを作成し実行できる環境を提供するプラットフォームを開発し実務において活用しています[14]。これにより、分析や最適化手法を簡単に変更でき、検証スピードが向上するだけでなく、専門家の作業フローを蓄積し参考にしたり再利用したりすることも可能となり、熟練者でなくても短期間で効果的に数理解析技術を使えるようになることが期待できます。

一方で、人の知識や経験により試行錯誤的に数理解析技術を使いこなしている部分も含め自動化するという方向性も考えられます。アルゴリズムの自動選択のようなインテリジェントな機能の実現や、さらに、将来的には自律的に問題解決をする人工知能技術の開発などです。現在、異種情報の連携やデータの利活用によりいろいろな社会サービスの提供が行われていますが中長期的には自動化・自律化の方向に進もうとしており人工知能技術として確立されていくと思われます。富士通研究所では、さまざまな人工知能研究を行っています[15]が、筆者らのグループでは数式処理を中核とした数理技術を活かし、自然言語で記述された数学問題を自動求解する人工知能の研究を国立情報学研究所と共同で行っています。2011年に国立情報学研究所がスタートした人工頭脳プロジェクト「ロボットは東大にはいれるか」[16][17]の数学チームに2012年度より参加して研究を進めています。まだまだ解決しなければいけない課題も多いですが、2013年に代ゼミの東大入試プレを受験し偏差値約60を達成しています。将来的には、数学問題を自然言語で伝えれば自動的に適切な解き方で解いてくれる人工知能が普及した世の中となり、数理解析技術の普及という意味も様変わりし、技術者も数理解析技術は意識すらする必要のないものになっているかもしれません。しかし、現実には完全自動化への道は容易ではなく、進化を続ける人工知能の先端技術のエッジを見据えつつ、人との協働の観点で段階的な対応を考えていく必要があると考えています。

 

以上、筆者らの最近の研究活動の一端を紹介させていただきました。個々の数理解析技術の深化やそれを支える数学の発展が重要であることは言うまでもありません。その認識の上で、応用の観点からは、数理解析技術が対象とする分野が人間活動や社会の問題解決の領域にも拡がっており、数理技術にも新しい方向性への挑戦が求められていると思います。ソーシャルな領域で数理解析技術による価値創造を実現するには、社会科学分野との連携・学際的研究の推進と、課題へのアプローチの際の“課題起点”と“ソリューション化”の意識が重要と考えています。そのために、産官学連携を軸に、経済や心理学など社会科学分野との連携、課題を抱える現場との対話(フィールド調査)にも取り組み、数理解析技術の実社会への実装も進めていきたいと思っています。

 

[1] 富士通研究所

[2] 雑誌FUJITSU 2011-9月号 特集:「研究開発最前線」 (VOL.62, NO.5)

[3] 湯上伸弘, 井形伸之, 穴井宏和, 稲越宏弥 「インテリジェントソサエティを支える分析技術」 雑誌FUJITSU 2011-9月号 (VOL.62, NO.5)

[4] 穴井宏和 「数式処理に基づくパラメトリック設計」 九州大学大学院数理学研究院・九州大学産業技術数理研究センター編,『技術を支える数学』 日本評論社,2008年

[5] 穴井宏和, 金児純司, 屋並仁史, 岩根秀直 「数式処理を用いた設計技術」 雑誌FUJITSU 2009-9月号  (VOL.60, NO.5)

[6] Yumei Umeda, Tsugito Maruyama, Hirokazu Anai, Arata Ejiri, Kenji Shimotani “A Fast Model Predictive Control Algorithm for Diesel Engines”  In Proceedings of 4th IFAC Nonlinear Model Predictive Control Conference 2012, pp. 466-471, 2012

[7] 岩根秀直, 穴井宏和, 篠原昌子, 村上雅彦 「ピーク電力削減のためのノートPCのバッテリー制御」 計測自動制御学会論文集, 49(2) 237-245, 2013年2月

[8] 穴井宏和, 横山和弘, 『QEの計算アルゴリズムとその応用---数式処理による最適化』 東京大学出版会, 2011年

[9] Ryusuke Masuoka, Hirokazu Anai, “Mathematics and Manufacturing: The Symbolic Approach”, A Mathematical Approach to Research Problems of Science and Technology ---Series: Mathematics for Industry, Vol. 5, Springer, pp.481-494,   2014

[10] 九州大学マス・フォア・インダストリ研究所

[11] 九州大学マス・フォア・インダストリ研究所 富士通ソーシャル数理共同研究部門

[12] プレスリリース「九州大学と富士通、数理技術に基づく社会システムデザインに関する共同研究部門を開設」

[13] 穴井宏和, 『数理最適化の実践ガイド』 講談社サイエンティフック, 2013年

[14] FUJITSU Software, Interstage Business Analytics Modeling Server.

[15] 山川宏, 岩倉友哉, 井形伸之, 今井岳, 穴井宏和, 岩根秀直 「ICT の世界を広げる富士通研究所のAI 研究」 人工知能学会誌 Vol. 29 No. 5特集:「企業におけるAI 研究の最前線」, pp.439-447, 2014 年9 月

[16] ロボットは東大にはいれるか

[17] 新井紀子 『ロボットは東大に入れるか (よりみちパン! セ)』 イースト・プレス,2014年

[18] Takuya Matsuzaki, Hidenao Iwane, Hirokazu Anai, Noriko Arai “The Most Uncreative Examinee: A First Step toward Wide Coverage Natural Language Math Problem Solving”, In Proceedings of 28th Conference on Artificial Intelligence (AAAI 2014), pp.1098-1104, 2014



あないひろかず
株式会社富士通研究所、九州大学 マス・フォア・インダストリ研究所、国立情報学研究所
[Article: D1403B]
(Published Date: 2014/12/15)