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書評

『ストロガッツ 非線形ダイナミクスとカオス―数学的基礎から物理・生物・化学・工学への応用までー』(Steven H. Strogatz 著, 田中 久陽 中尾裕也 千葉逸人 訳, 丸善出版 2015年)

西浦 廉政



力学系理論の入門書は数多く出ており,カオスを含め,その応用まで触れた国内外の名著も多い.その中で本書の特色の一つはその例示の豊富さ,話題の広さであり,読者を退屈させない.良く知られたホタルを振動子集団とみた同期問題,カオスを用いた秘密通信など,初学者にもわかりやすく述べられている.しかも読者がより高度の理論や実際に応用する際に,鍵となる基本的考え方が演習問題も含め,うまくちりばめられている.例えば,質量作用の法則,アリー効果,断熱消去,くりこみなどがある.副題に「数学的基礎から工学への応用まで」とあるのも頷ける.しかし,非常に多数の話題とモデルが取り扱われているにもかかわらず,それらがバラバラとしたものではなく,全体としてのトーンが感じられるのは,数学,ここでは幾何学的手法による力学系理論が統一的見方を与えてくれるからである.それにより様々な問題を「解かずして解く」という定性的理論の神髄を読者は垣間見ることになる.章立ては以下の通りである.

第1章: 本書のあらましー短い章であるが,非線型ダイナミクスの小史,非線形であることの重要性,動力学的世界観など,著者の思いが簡潔に述べられている.推薦のことばを書かれている蔵本由紀氏の「非線形科学」(集英社新書,2007年)などと合わせて読まれると,この分野の人達の共通の視点が見えてきて面白いだろう.
第1編:「1次元の流れ」は次の3つから成る.第2章: 直線上の流れ,第3章:分岐,第4章:円周上の流れ.表題だけ見ると平凡であるが,例題の使い方と説明の巧みさで,読者を引き込んでいく.実際,ここでホタルやジョセフソン素子の話が出てくる.
第2編:「2次元の流れ」は次の4つからなる.第5章:線形系,第6章:相平面,第7章:リミットサイクル,第8章:分岐の再訪.ここでは古典的な振動論の内容も含みつつ,第8章のホップ分岐,大域分岐,ホモクリニック分岐など,先端的研究でもしばしば使われる手法の簡潔な導入がなされる.ここでも演習問題は面白く,難問も含まれているが,挑戦する価値がある.
第3編:「カオス」.ここではローレンツ方程式をカオスの導入モデルとして述べた後,アトラクターのフラクタル構造を論じる最終章までの次の4つから成る.第9章:ローレンツ方程式,第10章:1次元写像,第11章:フラクタル,第12章:ストレンジアトラクター.
ローレンツ方程式の起源である対流の方程式を始め,化学反応系など複雑なカオス的ダイナミクスを提示する多くの現象およびそのモデル方程式は無限次元である.にもかかわらず,カオスの本質的振る舞いは低次元系,例えば3次元で十分記述されてしまうというのは,考えてみると不思議である.それは当初は多くの自由度が関与するが,時間と共に,ほとんどは散逸し,本質的な自由度は極めて少数となるという自然界で最も普遍的に見られる散逸性に起因している.中心多様体など力学系理論の話を持ち出したいところであるが,そうはせず,水車モデルを経て,うまく3次元の振幅方程式に帰着できることを示している.さらに10.6節で,普遍性と実験ということで,元々の複雑な現象が観察される実験と,帰着された低次元系との関係を論じている.これは物理学者,工学者を目指す人にとっては貴重なコメントとなっている.カオスが特別なのは,周期アトラクターなどと異なり,非整数次元をもつストレンジアトラクターと呼ばれるフラクタル集合をそのアトラクターにもつことであるが,短いページ数の中で,多くの例と共にそのことをさらっと導いているのは驚きである.厳密な数学理論は本書のねらいではなく,他の良書を見てもらうことになるが,ここでその概括的展望を得てから,次に進むのは大きな意味がある.

2.8節「コンピュータによる方程式の解法」など数値解法についても,随所で配慮されている点も好ましい.コンピュータの発展と普及がなければ,非線形ダイナミクスの現在の姿はないであろう.視覚化の技術も日進月歩であり,そのことは直感的理解の大いに助けになる.

ただし口絵にあるカラー図のBZ化学反応は典型的な非線形ダイナミクスの時空間パターンであるが,空間ダイナミクスについては,本書では論じていない.翻訳自体もこなれており,工学者,物理学者,数学者とそれぞれの観点から配慮が行き届いたものとなっている.全体として力学系入門書として,お勧めの一つと言えるだろう.



にしうら やすまさ
東北大学 原子分子材料科学高等研究機構
[Article: J1412A]
(Published Date: 2016/06/11)