谷 文之
ふと目覚めると,随所に立ち枯れの松が目立つ針葉樹林を縫って,ひときわ鋭角にそびえる雪山に向かってバスは走っていた.鉄道の駅から1時間余り.人里離れた,という形容がふさわしい,雪山を除けば取り立てて絵になる景色もない山奥.バスがカーブしながら急な坂を登ると,木立の間から不意に巨大なホテルが現れた.Grand Hotel Permon,今回の研究集会の開催地である.
3月13日から18日まで,私たちはここSlovakia はGrand Hotel Permonにて, 応用数理・数値計算に関する研究集会ALGORITMY 2016に参加した.ホテル周辺は薄く雪が残り,耳が凍りそうな寒気である.冒頭の雪山,Slovakiaの象徴であるTatra山を正面に臨むホテルに一歩足を踏み入れると,薬草あるいは鉱泉のような匂いが立ち込めており,「魔の山」のサナトリウム「ベルクホーフ」もかくやと思わせる風情であった.ホテルにある温泉・スパ・露天風呂の類を目にするにあたり,その連想はますます強められていった. このような人里離れたホテルで客室と会場を往復するのみでは,閉塞感に耐えられなくなるのではないか.私は密かに一抹の不安を覚えた.しかしこの不安は,初日の夜に早くも払拭されることとなった.
初日,まず主催者から研究集会の歴史が簡単に紹介され,続いて最初の基調講演として,ピアノの発音から伝達機構までを忠実にモデル化するというプロジェクトに関する発表があった.数理モデルの構築からシミュレーション結果に至るまで,基礎から応用にまたがるこの講演は,まさにこの研究集会らしい内容の発表であったと思う.こうして研究集会は幕を開けた.一方,プログラム公開時から気になっていたことがあった.初日夜のポスターセッションが深夜0時までであり,"with Beer"と明記されていたことである.実際,ポスターパネルの脇にビールサーバーが並び,皆グラスを手にポスターの前で活発に議論を交わしている光景は大変印象的であった.やがて会場の中央にチェコ工科大学の人々が車座になり,持参したギターとアコーディオンに合わせて歌い始める.伝統的な歌であろうか,自然と歌う人の輪が広がり,主催者がビールを片手に歌いながら乱入し,曲に合わせて踊りだす人も現れた.およそ研究集会でこのような光景を目にするのは初めてのことであった.私は何杯目かのピルスナーを飲みながら,事前に耳にした「ALGORITMYはタフな研究集会だ」という忠告を思い出していた.初日からこの盛り上がりは危険である.即刻部屋に引き上げて寝ることにしたが,聞くところによると,宴はその後場所をディスコに変えつつ朝4時まで続いたとのことであった.
翌日も朝から晩まで,基調講演・各セッションにおける研究発表が行われた.昨夜,もとい今朝まで盛り上がっていた人々も,何事もなかったかのように集中して聞き,発表している.その集中力を支える体力に密かに驚かされたが,休憩中にプールで泳いできた,ちょっとジムで鍛えてきた,という声を聞くに及んで,その驚きはいや増すばかりであった.4日目のエクスカーションに至っては,人々が持参したスキーを手に手に喜び勇んで出発していく姿にもはや感嘆の念を覚えた.数々の興味深い発表内容は勿論のこと, まるで狩猟民族が獲物を一直線に追い詰めて仕留めるような迫力で,余暇も研究も同等に楽しむ姿勢が大変印象的な研究集会であった.「よく遊びよく研究する」というありふれた文句に「体力の限界まで」と付け加えてこの研究集会の要約としたいと思う.
たに ひさし
明治大学 研究・知財戦略機構研究推進員
[Article: G1512D]
(Published Date: 2016/06/11)