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学会ノート

伊理正夫先生追悼特集(1):伊理正夫先生を偲ぶ ―ご経歴とご業績を中心に―

土谷 隆



本学会第7代会長を務められた伊理正夫先生が去る8月13日に85歳で逝去されました.この特集では,伊理先生とご縁の深かった,甘利俊一先生,杉原厚吉先生,藤重悟先生,今井桂子先生にご執筆をお願いいたしました.先生方による追悼の文章に先立ち,伊理先生のご経歴とご業績について,紹介させていただきます.

伊理正夫先生は1933年1月東京にお生まれになりました.1951年に麻布高校を卒業され,東京大学教養学部理科一類に入学し,1953年に工学部応用物理学科数理工学コースに進学,1955年に卒業されました.同年4月に大学院数物系研究科応用物理学専門課程修士課程に進学し,1957年に修了,その後,さらに博士課程に進学し,1960年に工学博士を授与されました.博士論文の題目は “On the Basic Theory of General Information Networks and Its Applications,” 指導教官は近藤一夫教授でした.1960年4月に九州大学通信工学科に助手として着任され,12月に助教授に昇任,1962年10月より,東京大学計数工学科に助教授として戻られ,1973年に教授に昇任後,1993年の停年退官まで研究室を主宰し,この間一貫して数理工学・応用数理の研究・教育に傾注され,多くの学生や後進学究を育てられました.並行して1987年から1989年には東京大学工学部長,引き続き1989年から1991年までは東京大学総長特別補佐を務め,大学の運営に携わられました.停年退官後,1993年より中央大学情報工学科に教授として着任され,2003年に定年退職されるまで引き続き多くの後進学究・学生を育てられました.その間,同大学理工学研究所長も務められました.1996年から2005年までは麻布学園理事,2001年から2010年までは日本測量調査技術協会会長なども務められました.

先生が日本応用数理学会の立ち上げにご尽力され中心的な役割を担われたお一人であることはつとに知られております.学会発足当初の1990年度から1996年度までは理事を,その間1992年度には副会長を務められました.そして1996年度には第7代会長に就任されました.その後1997年度から2005年度までは評議員を務められ,2001年度には名誉会員となり,2009年にはフェローに選出されました.また,Japan Journal of Industrial and Applied Mathematics の Editor-in-Chief を1997年から2009年まで,13年の長きに渡り務められました.

伊理先生は,この他にも数多くの学会で要職を歴任しておられます.特に,日本オペレーションズ・リサーチ学会,地理情報システム学会では会長を務められ,また,数理計画分野最大の国際的学術会合であるInternational Symposium of Mathematical Programming が1988年に東京で開催された際には組織委員長としてシンポジウムを成功に導かれました.また,Mathematical Programming, Discrete Applied Mathematics, European Journal of Operational Research 等数多くの国際学術誌のエディタも務められました.科学研究行政や国土地理数値情報分野をはじめとする,さまざまな分野の政府の委員会や審議会に委員や取り纏め役として参加され重要な役割を果たされました.

伊理先生のご研究は数理工学・応用数理の広範な範囲に渡ります.1960年代から1970年代には,電気回路方程式の表現法の研究から出発して代数的位相幾何学や線形計画的手法も用いたグラフ・ネットワーク解析, 大規模システム分割の理論を展開され,さらにそれを受けて発展させる形でマトロイド理論とその工学的応用についての研究を進められる一方,高性能の積分公式である IMT (Iri-Moriguti-Takasawa) 公式なども提案されました.1980年代から1990年代にかけては計算幾何学のための種々のアルゴリズムの開発と地理情報処理への展開,可変指数部を持つ浮動小数点数値表現である伊理-松井方式,線形計画問題に対する内点法の伊理-今井法,高速自動微分法の提案と実用化などの研究を進められました.このように,先生の諸分野におけるご業績は枚挙にいとまがありません.先生はこれらのご研究を200編以上の論文として出版されました.

さらに,先生は“Network Flow, Transportation, and Scheduling: Theory and Algorithms”,“線形計画法”, “数値計算”,“数値計算の常識”, “グラフ・ネットワーク・マトロイド”, “アルゴリズムの自動微分と応用”,“線形代数汎論”をはじめとする数多くの特色ある専門書や教科書を執筆され, 多くの洋書を (しばしば令夫人由美様と共に) 翻訳してこられました.これらの本を通じて数理工学や応用数理の面白さに目覚めた方々も多いのではないでしょうか.

これらの先生のご業績に対し,1965年には松永賞,1993年には東レ科学技術賞が授与され, 1989年には米国 IEEE よりフェローの称号が与えられました.さらに1995年には紫綬褒章,2007年には瑞宝中綬章を授章されました.2011年には国土地理院より感謝状が授与されております.

今改めて振り返ってみて驚かされるのは,伊理先生のご研究が常に工学的な視点に裏打ちされており,技術の進展を見据えて着実に時代を大きく先取りした形で進められてきたことです.工学や技術は一見地味にみえても現代社会を根底で支えて動かしていく重要な存在です.伊理先生は,このいぶし銀のような工学や技術の役回りに共感し,それらを大切にしてこられたのではないかと私は感じております.そして,さらにその工学や技術を根底から支える学問としての数理工学や応用数理を構想しておられたのではないでしょうか.あくまでも工学の立場で数理を見据える.それが,上で挙げた伊理先生のお仕事を貫く“こだわりと学風”だったのではないか,と思います.そのようなお考えは,学会発足後程ない1993年度から1994年度にかけて自ら主査を務めて活動された研究部会である“新製品開発と応用数理”の終了時に著された“応用数理”の記事“研究部会「新製品開発と応用数理」を終了するにあたって”(第5巻3号)からも窺い知ることができます.

一方, 1998年に“応用数理”に先生が連載された“応用数理の遊歩道(1)~(3)”をご覧いただくとわかりますように,先生は数理周辺のみならず,言語をはじめとする幅広い分野に造詣が深く様々な事象に精通しておられました.このような教養があってこそはじめて大きなお仕事をできるのだと感じさせられます.特に言語に対しての先生のご興味は生涯通底したものでした.最初期の研究成果として1959年,数理音声学における“伊理座標”を導入された先生は,最晩年の2016年まで日本エスペラント協会の顧問を務めておられました.

私自身は,1984年から1986年にかけて伊理研究室に修士の学生として在籍し,高速自動微分法を研究テーマとしてご指導をいただきました.このテーマが機縁となって修士修了後に統計数理研究所に入所し,引き続き高速自動微分法に関する論文を先生と共著で執筆する機会に恵まれました.先生のご指導は厳しく,適切に応えることができなかった私に先生は随分歯痒い思いをされていたのではないかと思います.とても先生の高みには到達できないとしても,少なくともその水準を目指さないと研究者になれないのだと思い,先生の背中を見て,研究者への道を歩み始めました.その後も多くの薫陶を賜りましたが,まず最初にそのような場に置かれたことが,私自身が成長していく上でかけがえのない糧となったことは間違いありません.先生の学恩に深く感謝し,改めてご冥福をお祈りいたします.



つちや たかし
政策研究大学院大学
[Article: K1809A]
(Published Date: 2018/10/20)