シュワドレンカ カレル
矢崎成俊氏の「界面現象と曲線の微積分」は,相異なる物質や相異なる相の境目である「界面」が変形・移動する現象を数学の観点から理解する過程を基礎から応用まで案内してくれます.数学の面白さが伝わるわかりやすい理論展開,自然の不思議を感じさせる現象例の選択,そして過去の研究者たちの未知との苦戦のなかで出されたアイデアの紹介が絶妙にバランスよく織り交ざっており,最後まで一気に読んでしまう本です.
本書は現象の観察・数理モデルの導出・数学理論の基礎・モデル方程式の解析・数値スキームによるシミュレーションという数理モデリングの重要な段階をすべて網羅していますから,読みやすさを維持するため,それぞれの段階で動機付けや理解に重要と思われる事柄のみを取り上げて解説を進めています.例えば,数学の部分では,定義・定理・証明という理論を築いていくアプローチではなく,界面を表すオブジェクトを扱いやすい平面曲線に対象を限定し,後の理解に役立つ証明のポイントやアイデアだけを押さえて,詳細については豊富な参考文献を参照しています.
その意味で,学部レベル程度の知識があり,この分野についてはじめて勉強したい方にとって打ってつけの本ですが,そればかりではありません.扱う現象や数学の範囲が広く,日本で初めてクロソイド曲線が道路の建設に使われた三国トンネルの記念碑の話のように,著者が長年の文献の調査で獲得した興味深い例題や逸話も多くあり,この分野で研究してきた筆者でも本書を読むことでたくさんの新しい発見がありました.
本書は,演習問題を満遍なくちりばめた4つの部分で構成されています.序章では界面現象についての読者の興味を引きつけ,準備編では動く曲線を数学的に扱うための準備をし,基礎編では曲線の方程式の重要な性質を調べ,発展編ではそれまでの知識を駆使して現象を記述するモデルの解析に挑みます.以下では,それぞれの部分の概要を述べます.
序章では,蛇口から垂れ落ちる水滴,二枚の板の間に挟まれた液体の運動(ヘレ・ショウ流),雪結晶の成長,チンダル像,化学反応によるパターン形成,画像処理における輪郭の抽出など,界面の運動が現れる多くの現象や応用技術の例を挙げ,読者の興味を唆ります.
準備編ではまず,媒介変数による表現,法線ベクトル,弧長,弧長に関する微分と積分,曲率といった平面曲線の基本事項を解説します.また,凸性に関する考察など,移動境界問題特有の話題も盛り込まれています.次に,時間とともに変化する曲線を取り上げ,現象における移動境界を数学的に定式化するための基礎知識を整理します.パラメータの取り方に依存しないいわゆる幾何学的量や後々の数値計算の説明で重要となる接線速度の話から始め,曲率や長さのような曲線の様々な量の時間発展を導きます.そして,曲率流方程式を紹介し,変分の概念を交えて,曲線の長さの勾配流であることを説明します.
基礎編ではまず,ジョルダン曲線に対する等周不等式を二つの方法で証明してから,等周不等式を精密化するボンネーゼンとゲージの不等式を紹介し,その応用として,曲率流方程式に従って動く曲線がどのように振る舞うか議論します.曲率に対する発展方程式で最大値原理が成り立つことより曲率流方程式では曲線の凸性が保存されるという話題があり,回転数が2以上の曲線で解の爆発が起きるという現代数学で注目される話題も紹介されます.次に,界面の異方性を導入し,このより一般的な設定で等周問題の解がいわゆるウルフ図形で与えられるということを丁寧に説明し,対応する一般等周不等式の証明を行います.最後に,この一般化で得られる重み付き曲率流方程式やクリスタライン曲率流方程式,アイコナール方程式,面積保存曲率流,ウィルモア流,ヘルフリッヒ流,等周比の勾配流など,曲線の様々な運動を定義し,それを記述する方程式を紹介します.
発展編の前半では,具体的な界面現象の例を挙げます.まずは,運動する境界が滑らかである現象に注目し,2枚の板の間に挟まれた液体の運動を記述するヘレ・ショウ問題を導出して,その面白い拡張についても触れます.化学反応に現れる螺旋状のパターンを再現する界面運動モデル,その性質,数値解法,定常解とアルキメデス螺旋などのトピックもあります.次に,界面が角をもつような現象の例として,横山−黒田モデルの導出を中心に,雪結晶の成長のモデリングについて話を展開します.また,空像という現象の紹介からクリスタライン曲率流方程式など,折れ線版移動境界問題の解説に自然につなげていきます.後半では,平面曲線の運動を数値計算する方法として直接法に分類される折れ線近似を具体的に紹介します.折れ線の頂点の極端な集中を防ぐ上で接線速度が数値計算において重要だと強調し,様々な頂点の配置法について詳説します.
界面運動を数学・モデリング・数値計算の観点から総合的に扱う参考書は世界的に見ても,これまでは皆無と言っても過言ではないほど珍しいです.数学的な側面に集中する儀我美一著の「動く界面を追いかけて」 ,現象のモデリングに着目する太田隆夫著の「界面ダイナミクスの数理」や数値計算を主眼におくStanley Osher et al.著の「Level Set Methods and Dynamic Implicit Surfaces」のように,問題の一面を取り上げる本は,僅かではありながら存在しますが,矢崎氏の本書は,全体像とその構成要素のインタラクションがはっきりとつかめる意味でとても貴重です.
しゅわどれんか かれる
京都大学
[Article: J1707B]
(Published Date: 2017/12/05)