杉原 正顯
森正武先生は本年2月24日に逝去されました.享年79歳でした.私は,25日,森正武先生の奥様より先生がお亡くなりになったとお知らせいただき,大変驚き,深い悲しみを覚えました.年賀状で,森・杉原研のOB会を3月ごろ開催致したいと思いますとお知らせした矢先のことでした.
森先生は1961年に東京大学工学部応用物理学科の物理工学コース(物工)をご卒業,1963年に同大学院修士課程を修了され,博士課程に進学されました.この間,物工の通称「力学教室」の雨宮綾夫先生の研究室に所属され,原子分子の物性に関する研究,とくに,高分子化合物の物性を放射線照射によって改良する研究や,励起した原子との衝突による原子のイオン化や励起移動の断面積の計算といった研究に携わられました.また,この時期,日本初の大型汎用コンピュータHITAC 5020の数値計算ライブラリを日立製作所と雨宮研究室が共同で開発することになり,先生は開発者のお一人として,Gaussの消去法,数値積分法,Runge-Kutta法などのプログラム開発を担当されました.励起移動の断面積の計算に現れる積分の数値計算にも様々な工夫をされたようで,このころから,先生は数値計算に興味を持っておられたようです.
1965年には,博士課程2年目でしたが中退され,力学教室の助手になられました.力学教室の若手,河原田秀夫先生,花村榮一先生も同時に助手になられました.このころ,力学教室に藤田宏先生がご在籍で,藤田先生の指導の下,森先生は,河原田先生,花村先生とご一緒に E. Hille の Analytic Function Theory の輪読をされ,藤田先生の特訓を受けられたとのことです.1967年には,森先生は,物理関係の研究を,学位論文「放射線効果の基礎過程に関する研究」としてまとめられ,東京大学から工学博士の学位を授与されました.
1969年8月,森先生は,当時東京大学大型計算機センター長でおいでになった高橋秀俊先生から数値積分の誤差評価に複素関数論を応用する話を聞かれ,そこから高橋先生との共同研究が始まります.11月には,京都大学数理解析研究所の共同研究集会「科学計算基本ライブラリのアルゴリズム」で,その研究成果を高橋先生と一緒にご発表になります.余談になりますが,私も高橋先生の論文等を拝読する機会がありましたが,難解で,何年も考えて,やっと,そういうことだったのか!ということが多々ありました.高橋先生のお話を聞かれて,すぐに共同研究を始められた森先生の能力の高さに敬服致しておりました.
1970年3月には,京都大学数理解析研究所の助教授に就任され,応用数学や数値解析の研究に邁進されます.特に,積分区間を無限区間に変換し,台形則を適用する数値積分公式に関して,高橋先生とご一緒に,理論,数値実験の両面から詳細な研究を行われ,1974年,以下の原理を提唱されます.
二重指数関数の原理
与えられた積分に対して,積分区間を無限区間(-∞,+∞)に写す変数変換x=φ(t)で,変換後の被積分関数f(φ(t))φ'(t)が二重指数関数的に減衰するものをほどこし,変換された無限区間上の積分に対して台形則を適用すれば最も効率よく積分値が計算される.
そして,この原理に基づいて得られる公式を「二重指数関数型数値積分公式(DE公式)」と命名され,その有効性を多くの数値実験で検証されます(原著論文として[14]がありますが,それと同じ内容を日本語の本[93]で読むことができます.なお,文献の詳細な情報はご業績リストを参照してください).このころ,変数変換+無限区間上の台形則の有効性に気が付いた研究者はかなりの数おいでになったようではありますが,「二重指数関数の原理」のような高みに到達できた研究者は,森先生,高橋先生しかおいでになりませんでした.しかし,話はこれでは終わりません.1977年,戸田英雄先生,小野令美先生が京都大学数理解析研究所の共同研究集会「数値計算のアルゴリズムとコンピューター」において,この原理が有効でない積分の例―いわゆる振動型の積分です―を発表されます.また,1978年には,Hardy空間上の最適数値積分公式を研究していた Prof. F. Stenger が,彼が証明した誤差の下限より,DE公式の誤差が小さいことから,「DE公式の理論は誤りである」という手紙を森先生のもとに送ってきます.これらの話に対する決着は1985年ごろにつくことになります.
森先生は,1974年9月から1年間,文科省在外研究員として New York 大学Courant研究所に滞在されます.この間に,先生は多くの研究者とお会いになっております.たとえば,J. W. Cooley,P. J. Davis,W. Gautschi,G. H. Golub,E. Isaacson,A. Jameson,F. John,D. K. Kahaner,P. Lax,F. G. Lether,R. P. Moses,L. Nirenberg,P. Rabinowitz,J. R. Rice,F. Stenger,G. Strang,J. B. Stroud,O. B. Wildlund,J. H. Wilkinsonなど,有名人が勢ぞろいという感じです.
先生は,在外研究の間も含めて,京都大学数理解析研究所在職中に,DE公式の研究以外にも,指数関数のPadé近似の研究,有限要素法によるStefan問題の数値解法の研究などを行っておられます.また,この時代に,共立書店から出版される名著「数値解析」を執筆になっておられます.
1979年4月には,筑波大学電子・情報工学系の教授に就任されます.現在もそうですが,筑波大に講座制度はなく,研究者は,分野が近いものが集まって,適当な名前の研究室をつくって,そこを基盤に教育研究活動行います.森正武先生は,池辺八洲彦先生,小柳義夫先生とともに数値解析研究室(略称 数値研)を立ち上げられます.その後,稲垣敏之先生,名取亮先生,宮本定明先生も加わられ,1982年7月から,私もメンバーに加えていただくことになります.わが国で,これほど多くの数値解析関係の研究者が集まった組織はなかったのではないかと思います.数値研は「よく学べよく遊べ」を地で行く研究室で,多くのゼミが行われると同時に,野球,ボーリング(森先生はいつもHigh Scoreを出しておいででした),スキー,さらには,飲み会が行われ,優秀な卒業生を沢山輩出しました.森先生のご研究関係では,先生の研究はこれまで解析関係のものが多かったように思いますが,線形計算関係の研究にも乗り出されます.私自身については,森先生の影響を受け,先に述べた「二重指数関数の原理」の研究を始めました.戸田先生,小野先生の反例の解析,Prof. Stengerの数値積分公式に関する理論の勉強から始めて,つぎの「二重指数関数の原理(改訂版)」に辿り着きました.
二重指数関数の原理(改訂版)
与えられた積分に対して,積分区間を無限区間(-∞,∞)に写す変数変換x=φ(t)で,変換後の被積分関数f(φ(t))φ'(t)が複素平面上の帯状領域で正則かつ有界,さらに実軸上で二重指数関数的に減衰するものをほどこし,変換された無限区間上の積分に対して台形則を適用すれば最も効率よく積分値が計算される.
同時に,Prof. Stengerが研究を推進されていたSinc数値計算法―信号処理で有名なsinc関数を用いた数値計算法―に自然な形でDE公式で用いられた変数変換が組み込め,多くの場合に,より高精度の結果を得ることができることも分かりました.Prof. Stengerは,この数値計算法に「DE-Sinc数値計算法」という名前をつけてくださいました.
この時期,森先生は大学の管理運営にかかわれることも多かったようで,本部の企画調査室員,広報室員,教育計画室の室長を務められ,さらには電子・情報工学系長も務められ,大変お忙しいご様子でした.
1989年4月には,東京大学工学部物理工学科に異動されます.私は,一橋大学におりました(1987年に筑波大から異動)が,2年後の1991年4月に東大によんでいただきました.先生は,この時期,日本応用数理学会の立ち上げ,その発展のためにご尽力になり,現在の学会があるのは先生のこのご尽力のお蔭と思っております.研究面では,助手の恩田智彦氏,修士の学生の降籏大介氏とご一緒に,相分離現象を記述する偏微分方程式を安定に解く数値解法を研究されました.この数値解法は離散変分法と命名され,その後,大きく発展しました.森先生にとって,多分,この時期,最も衝撃的であったことは,名古屋大学理学部2年生の大浦拓哉氏からの手紙ではなかったかと思います.大浦氏は,手紙で,戸田先生,小野先生がご指摘になったDE公式が有効に働かない無限区間上の振動型の積分を,二重指数関数型変換に似た変数変換を用いて効率よく計算できる方法を提案してきたのです.先生は多くの数値例で,その有効性を確かめられ,大浦氏の才能を褒めたたえておいでになりました.大浦氏は,その後も,天才的アイデアで振動型の積分等を効率よく計算する方法を開発しております.
1997年4月には,京都大学数理解析研究所に異動されます.東大を1998年(森先生が定年になられる年)にご退職,私立大に行かれるという噂がありましたので,皆,驚きました. 1年後には所長に就任されます.数理解析研究所改組の概算要求のお仕事で大変だとおしゃっておられたのを思い出します.もっとも,事務処理能力も高い森正武先生のことですから,スイスイと仕事をこなしておられたのではないと推測します.
2001年,京都大学をご退職後,東京電機大学理工学部に移られます.電機大では,DE-Sinc数値計算法の研究,とくに,常微分方程式の境界値問題,常微分方程式の初期値問題,積分方程式に対するDE-Sinc数値計算法の研究をなさっておいででした.2008年3月に70歳でご退職になりました.
電機大ご退職後は,写真撮影や風景描写を趣味とされておいででした.以下に,ご家族からお借りした風景画の写真をご紹介いたします.
心より森正武先生のご冥福をお祈り致します.
なお,ここに記した内容の多くは,以下の資料によるところが大きいです.
『応用数理』 フォーラム 応数八景そぞろある記(1) (応用数理の遊歩道(32))
『応用数理』 フォーラム 応数八景そぞろある記(2) (応用数理の遊歩道(33))
『応用数理』 フォーラム 応数八景そぞろある記(3) (応用数理の遊歩道(34))
『応用数理』 フォーラム 応数八景そぞろある記(4) (応用数理の遊歩道(35))
森 正武 先生 御略歴
1937年 8月26日 生まれ
1961年 3月 東京大学工学部応用物理学科卒業
1963年 3月 同大学 大学院数物系研究科修士課程修了
1965年 3月 同大学 大学院数物系研究科博士課程中退
1965年 4月 東京大学工学部助手
1967年12月 東京大学より博士号取得(工学博士)
1970年 3月 京都大学数理解析研究所助教授
1974年 9月~1975年 8月 ニューヨーク大学クーラント研究所客員研究員
1979年 4月 筑波大学電子・情報工学系教授
1987年 4月~1989年 3月 同大学 電子・情報工学系長,筑波大学評議員
1989年 4月 東京大学工学部教授
1995年 4月 同大学 大学院工学系研究科教授(改組により)
1997年 4月 京都大学数理解析研究所教授
1997年 4月~1998年 3月 東京大学大学院工学系研究科教授(併任)
1998年 4月~2001年 3月 京都大学数理解析研究所長,京都大学評議員
2001年 4月 東京電機大学理工学部教授
2008年 3月 同大学 退職
2017年 2月24日 逝去(79歳)
受賞・栄誉
1997年 8月~ 大連理工大学客座教授
1997年11月 石川賞(日本科学技術連盟)
1998年 4月~1999年 3月 日本応用数理学会会長
2001年 4月~ 筑波大学名誉教授
2001年 7月~ 京都大学名誉教授
2016年 4月 瑞宝中綬章
2017年 2月24日 正四位
ご業績リスト(森正武先生が生前にご自身で選ばれたものです)
すぎはら まさあき
青山学院大学
[Article: K1707E]
(Published Date: 2017/12/05)