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学会ノート

杉原正顯先生を偲んで

室田 一雄



数値解析の分野で多くの研究業績を挙げてこられた杉原正顯先生が2019年1月5日に64歳の若さでお亡くなりになりました.筑波大学,一橋大学,名古屋大学,東京大学,青山学院大学で教鞭を執られ,応用数理学会では2008年に副会長を務められました.

*  *  *

杉原さんとの出会いは,計算機室のラインプリンターの前であった.卒論の計算でもしていたのであろうか.私は3年生で,数理工学演習の課題に取り組んでいた.当時のコンピュータは,パンチカードでプログラムを入力すると,結果が印刷されて出てくるまで暫く待たされた.この時間に何となく話をするようになったのである.その後,40年以上に亘って,共に学び,研究し,十数編の論文と数冊の本を書くことになるが,そんな予感などあろう筈もない.

大学院時代の杉原さんは,統計学の研究室に所属した.私は(何となく)大学院に進むことを決めて,一番自由な感じの研究室を選んだら,そこに杉原さんがいた.そして,勉強の仕方を教わることになる.まず言われたことは「もう少し真面目に勉強しなさい」であった.ただし,杉原さんの物の言い方は相手への気遣いに溢れていて,まずは飛び切りの誉め言葉を言ってから,注意を述べるという形を取る.その結果,私は勉強する気になったのである.杉原さんの勉強の仕方を覗き見ると,一心不乱に一冊の本に集中するのではなくて,関係する本を2~3冊並行して読んでいた.複数の本に書いてある内容を咀嚼して,自分のノートに再構成することが大切らしいと理解した.修士課程の間はいろいろと指導してくれて,修論の細かな計算もチェックしてくれた.漸近展開の計算で腕力を競ったりもした.

博士課程に進んだ杉原さんは,数値積分の道を独力で突き進むことになる.まず取り組んだのは,多次元積分に対する数論的な数値積分法である.数値積分というと,メッシュに分割して格子点上の関数値を計算して,適当な重みをつけて足すというものが多いが,この数論的方法というのは,例えば,√2の2倍,3倍,4倍, …の小数部分が0と1の間に一様に分布するというような数論的事実を利用するものである.そこに使われている数学的道具を見て,杉原さんの数学的素養に驚いた.この研究は,"A note on Haselgrove's method for numerical integration'' (Mathematics of Computation, 1982)という論文になった.

多次元積分の研究は,優良格子点法へと進み,「準モンテカルロ法に関する研究」と題する博士論文に纏められた(1982年).優良格子点法に関する研究は,その後の成果を加えて,最終的に "Method of good matrices for multi-dimensional numerical integrations – An extension of the method of good lattice points'' (Journal of Computational and Applied Mathematics, 1987)として発表されている.

優良格子点法による数値積分の話は数学会の年会で発表された.それが森正武先生の目に留まった.伯楽・名馬である.そして,筑波大学の助手に採用された(1982年).当時の筑波大学(電子・情報工学系)には,池辺八洲彦先生,名取亮先生,小柳義夫先生も在籍され,数値解析の一大中心地であった.翌年,全くの偶然で,私も筑波大学に就職した.社会工学系という別の組織であるが,同じ建物だったので,数値研に出入りさせて頂いた.

この頃から,杉原さんの研究はDE公式へと移る.DE公式というのは,高橋秀俊先生と森先生が1974年に考案した高性能の変数変換型数値積分公式のことで,変数変換後の関数が二重指数(Double Exponential) 的に減衰することからそのように呼ばれる.DE公式は,数学的な美しさと実際的な有用性を兼ね備えた,日本の数値解析の金字塔である.

既に高橋・森の論文において,DE公式の理論的な誤差評価と,二重指数関数による変数変換が最適である理由が議論されているが,杉原さんは,DE公式の最適性を数学的に厳密に定式化したいと考えたのである.その背景には,海外における研究結果との整合性があった.海外の理論によれば,通常の指数関数的な減衰を用いるSE公式(SE = Single Exponential)によって最適な数値積分公式が実現される.この理論を(雑に)適用すると,「DE公式の高性能はありえない」という結論が得られてしまう.

杉原さんは,10年を掛けて,この問題に解答を与えた.それが "Optimality of the double exponential formula – functional analysis approach'' と題する渾身作である (Numerische Mathematik, 1997).積分公式の最適性は,その公式の適用範囲の設定に依存するものであることを踏まえて,DE公式の最適性を数学的に厳密に議論したものである.結論は,次の2点である.

1.  ある関数族を設定すれば,その中でDE公式の誤差評価(上界)を与えることができる.さらに,その関数族におけるあらゆる数値積分公式にわたる最小誤差の限界(下界)を与えることができて,それがDE公式の誤差評価にほぼ等しい.したがって,DE公式はその関数族に対して最適な公式である.

2.  DE公式よりも高い性能を許容するような関数族を設定することはできない.

これが「DE公式の最適性」の杉原理論である.一般に,何かが最適であることを示すには,それより良いものがないことの証明(非存在証明)が必要であるから,最適性の証明は難しい.

この論文の着想から完成までの10年間,私は聞き役を務めていた.その間,論文原稿は数回「出来上がった」が,その原稿は投稿されることはなく,理論は改良に改良を重ねることとなった.このような執念と努力の結果,DE公式がグローバルスタンダードに耐えるものとなったのである.

その後,DE変換とSinc近似とを組み合わせて用いる手法を提案し,若い人を巻き込む形で様々な問題についてDE-Sinc法を展開した.森先生から杉原さんに引き継がれたDEの襷は,今や,次の世代に託された.私はこれからも傍らで声援を送り続けようと思う.

杉原さんの研究のもう一つの柱として,線形計算(行列の数値計算)がある.その中でも特に共役勾配法に関心があったが,その原点は高橋秀俊先生の書かれた「Lanczosの原理と数値解析」という解説記事(数理科学,1976) にある.この記事では,ベクトルの直交化に関するある性質が「Lanczosの原理」として抽出され,「Lanczosの原理から得られる3項漸化式が,一見関係のなさそうないくつかの分野で,しかも数値計算に非常に有効な形で用いられる例」の一つとして,共役勾配法の仕組みが示されていた.我々はこの世界観に魅了された.一方,伊理正夫先生からは,モデル化と計算における不変性という論点を教わっていた.当時は,共役勾配法の前処理が注目され始めた頃である.そこで,前処理付きの共役勾配法をLanczos原理とテンソル的不変性の観点からどう理解すべきかが二人のテーマとなった.何度も議論を交わし,1年以上経ってから,やっと一定の結論に達した.このことを論文として発表することはなかったが,この議論を通じて得た視点は,それぞれのその後の研究に活かされた気がする.杉原さんの捉えた線形計算の世界は「線形計算の数理」(岩波書店, 2009)に遺された.

DE変換を巡る研究ではガチガチの堅固な理論を構築したが,杉原さんの学問的感性は柔軟だった.理論と実用のバランスの中で,数理工学の全領域をカバーして,いろいろな人との共同研究を楽しんでいた.学生の指導も上手かった.広い学識に基づいて適切なテーマを設定するだけでなく,学生の性格と適性にあった指導をして,筑波大学,一橋大学,名古屋大学,東京大学,青山学院大学で多くの人を育てた.人生に迷った学生は,杉原さんの笑顔に救われ,巣立っていったのである.

杉原さんが好んで口にした言葉は,「人間力」と「鈍感力」だった.その言葉通り,何事にもどーんと構えた安定感があり,周囲の者に安心感を与えた.「重箱は(隅をつつかず)丸く拭く」とも言っていた.面倒な理屈をごちゃごちゃ言わずに物事を丸く収めることに長けていた.そういえば,大学の事務の人から「杉原先生の神対応」という言葉を聞いたことがある.表に立つことを嫌い,誰かをサポートすることを好み,あらゆる場所で縁の下の力持ちとして貢献した.当然,人望は厚く,ある人は「無条件に尊敬できる人」と評した.

研究者への道を一緒に模索し,互いの研究を理解し合える相棒に出会えたことは,私の人生において最大の幸運であった.今はただ杉原正顯さんの冥福を祈るばかりである.

*  *  *

故 杉原正顯先生 略歴

1954年12月22日生まれ

[学歴]

1973年3月 岐阜県立岐阜高等学校卒業

1977年3月 東京大学工学部計数工学科卒業

1979年3月 東京大学大学院工学系研究科計数工学専攻修士課程修了

1982年3月 東京大学大学院工学系研究科計数工学専攻博士課程修了

[学位]

工学博士(1982年3月)

[職歴]

1982年4月 東京大学工学部助手(計数工学科)

1982年7月 筑波大学助手(電子・情報工学系)

1987年1月 筑波大学講師(電子・情報工学系)

1987年4月 一橋大学経済学部講師

1988年4月 一橋大学経済学部助教授

1991年4月 東京大学工学部助教授(物理工学科)

1997年2月 名古屋大学工学部教授(応用物理学科)

2005年2月 東京大学大学院情報理工学系研究科教授(数理情報学専攻)

2013年4月 青山学院大学理工学部物理・数理学科教授

2014年12月 名古屋大学名誉教授

2015年6月 東京大学名誉教授

[応用数理学会関係]

フェロー,副会長(2008年),業績賞(2014年)



むろた かずお
首都大学東京 経済経営学部
[Article: K1902A]
(Published Date: 2019/03/05)