JSIAM Online Magazine

学会ノート

三村昌泰さんを悼む

津田 一郎



小川山荘で藤井さんと談笑する三村さん。2016年か2017年の夏、藤井さん提供。

小川山荘で藤井さんと談笑する三村さん。2016年か2017年の夏、藤井さん提供。

三村昌泰さんの訃報を西浦廉政さんからのメールで知った。あまりに突然のことで言葉を失った。聞けば数年前から体調を崩されて治療を受けておられたとのこと。昨年12月に行われた三村賞授賞式の折、三村さんはビデオ参加で聞いておられるとのことだった。三村賞に三村さんが表に出ないというのは変だなと思っていたが、やはり体調がすぐれなかったのだろうと今となっては推察するしかない。私は金子邦彦さんの授賞に際してお祝いの言葉とともに、そもそも賞というものはどういうものだったかということをいくつかのエピソードを交えて述べた。それによって三村賞の価値を強調したつもりだ。三村さんにどこまで伝わったかは分からないが、これが最後の接触になってしまった。

三村さんが闘病を続けておられたこの数年間はちょうど私が北海道大学を退職して中部大学に勤め始めた時期と一致する。新しい環境ということもあり、忙しくしていてすっかりご無沙汰してお会いできずにいた。もっとお会いしておけばよかったと後悔しきりの毎日である。この数年間は三村さんとは明治大学のMIMS運営委員会で一度お会いしただけだった。今から思えば、それ以前と比べれば少し元気がないかなという印象ではあったが、いつもと変わらず穏やかなご様子であったのでこれっぽっちも心配していなかった。訃報に接し、「巨星堕つ」という言葉で頭がいっぱいになった。

三村さんに最初にお会いしたのは、私が京都大学大学院博士課程1年の時だった。私は物理教室で統計物理の富田和久先生に師事し、非線形非平衡系の一例としてベローソフ・ジャボチンスキー反応(BZ反応)の数理モデルを作りカオスや分岐の研究をしていた。この時代、数学教室には言わずと知れた山口昌哉先生がおられ、工学部電気工学教室には上田睆亮先生がおられ、そして物理教室には富田先生がおられるというように、京大はカオス研究のメッカの一つになっていた。そんなとき三村さんは大学院生の私を広島大学に呼んでくださり、カオスの講演をする機会を与えてくださったのだ。三村さんが招待してくださったこと自体驚きであり、まさに望外の喜びであった。さらにこの時、三村さんが優しく私のモデルの数学的な欠点を指摘してくださったのだ。この指摘によって、それ以来私は数学的な細部にも心を配るようになりその後の研究の発展につなげることができた。後年、東大数理科学研究科ができるとき三村さんがその一翼を担うために移籍された。ほぼ同じ時期に西浦さんが広島大学に移られて、三村さんと同じように私を呼んでくださり、今度はカオス的遍歴の講演をさせていただいた。山口昌哉先生とのつながりで、山口研の偉大な方たちと知り合いになれて、私は物理出身者ながらその恩恵を受けてきた。

三村さんとは時々しかお会いしなかったが、お会いすると毎日お会いしていたような親しみがあった。まさに三村さんの穏やかなお人柄によるものであろう。また、いつも気にかけてくださっていたのか、重要な局面のたびに呼んでくださった。2015年には明治大学で特別講演もさせていただいた。迂闊な私はその意味を深く考えていなかったので、二年後に訪れたであろう最後のご縁を逸してしまったのは返す返すも残念である。2016年前期には、栄伸一郎さんと私が世話役になり北大数学教室の集中講義に三村さんをお呼びすることができた。むろん、現象数理学の講義をしていただいた。多くの数学科の学生に影響を与えていただけたと思う。北大の数学関係者には三村さんの学問的血が流れている人も多い。私は北大電子科学研究所におられた西浦さんと数学振興の共闘を組むために数学教室から電子研に一時期移籍していた。そこに、三村さんのお弟子さんの長山雅晴さんが来られた。爾来、長山さんとの交流は(飲み友達としてだけでなく)続き、また今回の追悼特集号では系譜に連なる秋山正和さんのお世話になっている。北大数学教室には栄さんがおられ、三村さんの数学は広島や東京ばかりではなく札幌にも根を下ろし、さらに関係者が全国津々浦々で活躍しておられる。

いや、日本だけではなく海外にもその血を受け継いでいる人はあまたおられると聞いた。それを彷彿とさせるエピソードがある。いつだったか、私は藤井宏さんと脳のダイナミクスの研究で共同研究を行っていた関係で、藤井さんと一緒にパリのキュリー研究所や郊外のIHESを訪問していた。藤井さん推薦のパリのごく普通のレストランで昼食をとっていた時、なんとそこに俣野博さんがフランス人研究者と一緒に来られ、互いに「何でここで会うの?日本ではあわへんのに」と驚いたことだった。恐ろしい偶然だが、俣野さんはそのレストランを三村さんに教えてもらったとのことだった。藤井さんはと言えば、そのレストランを山口先生と三村さんお二人から教えてもらったとのこと。三村さんの第二の師はオックスフォードのマレーさんなのでイギリスはむろんのこと、フランスではボルドーやパリを中心に活動されていたようだ。三村さんの不思議な魔力を感じた瞬間でもあった。

三村さんはその数学力はもとより人間力が非常に高い人だった。三村さんの行くところに必ず新しい組織ができた。時には請われて、時には自らの強い意志で時代に即した組織を作ってこられた。こんなことをやってのける人を私は他に知らない。これは明らかに三村さんが数学者としての信頼を勝ち得ているのはもちろんのこと、人間としての信頼も勝ち得ていたからに他ならない。人を虜にする魅力があった。とてもまねのできる話ではない。こういうことができるには無私の精神が備わっていないといけない。三村さんは「三村の数学」を超えた“こころ”を自ら形にし現実のものにできた誠に稀有な人物だった。

いつも優しく接していただいたが、私は一度だけ三村さんからお叱りというか注意を受けたことがある。明治大学がMIMSを核として文部科学省のグローバルCOEプログラムに応募することになり、明治大学全体で支援体制を整えることを世間にアピールする会があった。私も三村さんに呼ばれて応援演説をした。他方で、北大数学教室も「数学と諸分野連携」において先駆的な成果を上げた21世紀COEプログラムを基盤にして、グローバルCOEにチャレンジすることになった。私は明治大学とともに北大も採択されると確信していた。北大では私の提案で若く優秀な助教授の人を代表に据えて申請することになった。私は優秀な助教授を代表にすることは好意的に受け止められると信じて疑わなかったが、多くの数学者は代表者は教授であるべしという考えだったようだ。数学教室に長年お世話になりながら私にはまだ物理の精神が生き残っていたようで、若い人を代表にして新しい時代を象徴するのだという意気込みがあった(物理ではむしろこれは了とされる)が、厳密性と秩序を重んじる数学者集団においてはこれは空回りだったようだ。三村さんから「津田さんが代表にならんでどうするんや。若い人がきのどくやわ。うん、そらやっぱりあかんのちゃう。」と言われてしまった。私は未だにこのことは釈然としていないのだが、三村さんがそういうなら「やっぱ、世間はそういうもんなんかなあ」と考えざるを得なかった。

2015年に久しぶりにお会いした時、広島に戻る決断をしたという話をされた。この時は、数学者として歳をとった時どこで見切りをつけるか、難しい問題だが早めにけりはつけたいという趣旨のことをおっしゃったのが印象的だった。「家内ともそういう話、してんねんけどな」とおっしゃり、「自分では頭はしっかりしてる思うても周りに迷惑かけるいうこと、あるやろ。うん、ある思うねん。ぼくは周りに迷惑かけたないし、みっともない姿見せたないねん。な、そやろ、どない思う?そう思わへん?」とおっしゃっていた。三村さんの美学である。しかし、この時はまだご病気ではなかったのだと思う。とてもお元気だった。その元気なうちにけりをつけたいという言葉通り、広島に戻られてご自身の研究は続けながら後方から若手の成長を見守っておられた。その矢先の訃報であり、もっと長く三村さんらしい立ち位置でのご指導を後輩たちに与え続けてほしかった、との思いがつのるばかりである。

2010年夏、蓼科の小川知之さんの山荘で西浦さんの還暦パーティーを行った。西浦さんの還暦パーティーはむろん北大では複数回行われたのだが、これはこれでシニアの集まりということでごく内輪で開催された。私は脳科学の全国的な夏の集まりが蓼科の旅館やホテルを借りて1990年代半ばあたりから毎年行われたのを契機に、近くにあった藤井宏さんの山荘に滞在することが多くなっていた。10年ほど経って小川さんが藤井山荘のすぐ上に小川山荘を作った。驚いたことに、山の反対側には三村さんの別荘があったのである。西浦さんの還暦祝いにシニアだけの少数の会をやろうということになり、三村さんを筆頭に、藤井さん、小川さん、小林亮さんと私が西浦さんを囲んだ。写真はこの時の三村さんを伝える。三村さんの穏やかで深みのあるお顔は何度見ても飽きない。数学を新しい局面へと導いただけでなく、数学を生きる知恵へと昇華させた稀有な頭脳の実現が表情に刻まれているのを窺い知ることができる。心よりご冥福をお祈りします。

 

 

三村荘での集合写真。奥様の許可を得て掲載。2010年9月25日、西浦さん還暦祝いにて。

三村荘での集合写真。奥様の許可を得て掲載。2010年9月25日、西浦さん還暦祝いにて。

小川山荘での三村さん。奥様が差し入れてくださったのどぐろの頭を差し出す。2010年9月25日、西浦さん還暦祝いにて。

小川山荘での三村さん。奥様が差し入れてくださったのどぐろの頭を差し出す。2010年9月25日、西浦さん還暦祝いにて。

小川山荘での三村さん。レモン汁を作成中。2010年9月25日、西浦さん還暦祝いにて。

小川山荘での三村さん。レモン汁を作成中。2010年9月25日、西浦さん還暦祝いにて。

 

 



つだ いちろう
中部大学創発学術院
[Article: K2105D]
(Published Date: 2021/07/22)